中野村の旧名主 名門堀江家は今どうなっているか?

今の中野区で、僕が知っている有力者や資産家で、堀江さんという人はいないけれど、武蔵野国多摩郡中野村において代々名主をつとめた名門堀江家は今どうなっているのか?

僕が知らないというだけで、きっと今でもさぞかしすごい資産家なのでしょうと思って調べてみました。

「堀江家の起りは明らかではありませんが、12代重賢(しげかた)の徳川幕府への届出書によれば、越前(福井県)から同家の先祖、兵部(ひょうぶ)という人が農民10数人とともにこの地に来て、弘治元年(1555)中野の開発に着手したとされています。
当時、関東を支配していた小田原北条氏から小代官に任ぜられ、歴代の当主は、中野村の名主として中野とその近郷の有力な指導者となりました。
堀江家がはたした業績によって、中野村はしだいに発展していきました。その間の村政及び幕府との関係文書は、現在「堀江家文書」として東京都立大学に保管され、研究に供されています。
堀江家は、将軍鷹場の村むらへの御用触次、青梅街道中野宿の問屋場役人、組合村寄場役人のほか、江戸城内への種物・なす苗の上納など各方面に事跡を残しましたが、明治以降も中野の町村政のためにはたした業績はまことに大きく、現在の中野区の発展の礎となっています。

中野区教育委員会
明王山 宝仙寺」
http://tokyonakano.blog.shinobi.jp/…/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E5%…

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「堀江氏の居館は中野1丁目の区立谷戸運動公園にあった「城山居館跡」です。城山居館は、土塁と堀で囲まれた典型的な中世居館で、2回の発掘調査と3回の試掘調査によって、東西約130m・東西約120mにわたって幅約8m・高さ約2.6mの土塁と幅約7m・深さ約3mの堀を持つことが明らかにされています。」
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/…/walk…/history/37496

あ~!あの近くの「城山公園」の由来はそれか!

「この墓地は代々宝仙寺の檀家総代をされていた堀江家のものです。堀江家は歴代の当主が中野村の名主をつとめ中野とその近郷の指導者として活躍されました。堀江家がはたした功績によって中野村はしだいに発展し、その事績は明治以後にまで続きます。この発展が現在の中野区の繁栄の礎となったといわれます。しかし堀江家は第十六代堀江恭一氏を最後に途絶えてしまいました。

堀江家の長い年代にわたる村政及び幕府との関係を記した史料は、現在「堀江家文書」として首都大学東京に移管され、保管・研究されています。」
http://www.housen.org/info/guide.html

なんと、堀江家は16代目にして途絶えていたということがわかりました…。

名門の一族ですから、親類縁者は大勢いたでしょうし、養子をとることだってできたはずなのに、最後はどのように途絶えてしまったのか、莫大な土地や財産はどうなったのか、気になりますね。

堀江高齢者会館という施設がつい数年前まで、中野駅の南側、現在の産業振興センターの近くにありましたが、今その施設はなくなり、駐輪場か何かになるようです。

区議会議事録で調べてみたところ、堀江さんという方が1970年に亡くなり、「高齢者福祉に役立ててほしい」と遺言して土地を寄付したのだとか。多分、この堀江さんこそ、名門堀江家の末裔のひとりだったのでしょう。そうした経緯のある土地が、違う施設になってしまうのはあまりよろしくないことでありますが…。

堀江家が途絶えてしまったなら、墓参りに行く人もほとんんどいないでしょう。今日、ちょうど近くを通りかかったので、宝仙寺の墓所に行ってみました。

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高台にあることもあって、空が高いですね。広いのに誰もおらず、中野区とは思えないような異空間な感じがします。

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墓所は二つあり、こちらが第一墓所。_21A7066.jpg

こちらが第二墓所でした。

実は今は区議会議員選挙の本番真っ最中です。あまり選挙らしい選挙はしておらず、かといって何もしていないと焦ってしまいそうなので、「普段行かないところに行ってみよう」と思い立ち、一人でここに行きました。

区議選の当選をお祈りしようか迷いましたがそれはせず、中野区の安寧をお祈りしておきました。

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